比喩ログ

会話にオリジナリティを出す為に残した「比喩ログ」を紹介します。

幹事を敬遠するヒトは知らない幹事になるメリット

福岡でサラリーマンしてる25歳。

 

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先日、大学の同窓会福岡支部による交流会が開催されたので初めて顔を出してみた。参加者の60%ぐらいが年配の方々。残りの30%が30~50代の油の乗ったビジネスマンという印象。久しぶりに関西弁の飛び交う空間だった。

 

俺の参加目的は、人脈作り。

 

目的はある程度達成できた。その中でも知り合った若手の人が、次は若手クリスマスパーティーを企画してくれた。Facebookで参加者を募っているけど、現状は発起人と俺の二人のみ。こういう時、発起人は辛いだろう。こういう時こそ、サポートが必要だ。

大概の人間は、ある程度参加者が集まって、自分への負担が軽いことを前提に、全体が盛り上がりそうな場合にのみ気軽な気持ちで参加する。

 

その考えでは『主体的に自分の人生を切り開く』ことなど有り得ない。俺はそういう人間にはなりたくないので、企画をした発起人を最大限にサポートするし、自分への信頼を勝ち取る為にも自分なりに参加者を集めるつもりだ。

 

同じ大学を卒業した会社の後輩は勿論誘うが、彼も主体的ではないサイドの人間だ。あくまで参加者が増えないと参加したくないというしょぼい考え方をしている。この際それはどうでもいいが、そんな後輩に対して俺は何ができるだろう。

今日、自分が評価しないタイプの後輩を見限ろうとしていた自分がいた。見限って関係性が薄くなればストレスも溜まらないかもしれないが、本質的には間違った方向に進んだと反省した。

 

広告代理店の人間であれば、人が集まってから参加ではなく、プライベートから集客できる必要があるのではないか。そこの価値を後輩に説いて教える必要がある。教えることで、その考え方が体系化され、自分の身にも刻まれる。そして後輩が俺の教えによって変わることができればこれ以上ないし。”教てくれた人”として多少なりとも俺自身に価値が出てくると思う。

 

大勢の人を巻き込んで何かを実現することは、発起人にとっては一大事である。自身のパーソナリティ、人脈、人望、実力などなど、これまでの人生で培ったあらゆる部分が試される。起業するようなものかもしれない。

 

だからこそ、俺はサポートしてあげようと思う。俺が発起人になった時に周りから助けてもらえるように、俺はいま助ける。与えることでしか得ることはできないでしょう。

 それは一種の投資かもしれない。日々の生き方が投資になっているか。この視点は大切。